空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

『孤独のグルメ』ほど料理を中心に添えているマンガはないと思う話

この前料理マンガについて『料理マンガというのは総じて『バキ』的なものかもしれない』というのを書きましたが、すべてのマンガがそうではありません。そしてその中でも特に象徴的なのが『孤独のグルメ』という作品。そしてバキ的な強引さがないということ以外でも、このマンガは食べ物を扱う漫画としてかなり特殊な性質を持っていることに気付きました。ネットでは『孤独のグルメ』に対する書評などはかなりされ尽くしている感がありますが、その視点から自分なりに書いてみようと思います。

まず、このマンガは一応食べ物を扱っていますが、料理マンガとは微妙に違います。だって、主人公が料理するわけではなく、出されたものを食べているだけなのですから(とはいえ、食べ歩き系マンガなら最近わりとありますけどね)。そして、以前のエントリーで語ったような、料理をネタに強引に話を展開する『バキ』的な展開もなく、淡々と話が進みます。しかしそれらの独特な雰囲気と描写で、他の料理マンガとは違った意味で高い評価を受けています。

しかし、本当にこのマンガが特徴的なのはそれだけではありません。実は見方によってはこのマンガほど、料理を中心に添えているマンガはないと思うからです。

他の料理マンガの多くは、たしかにストーリーのほとんどを料理とそれに関する展開が占めますが、使われ方はとあるストーリーがあって、それのきっかけに料理があるという場合が多いです。例えば『美味しんぼ』ならもめ事→料理を出す→解決みたいなパターン。『ミスター味っ子』や『将太の寿司』、『食キング』みたいな料理勝負ものでも、だいたい前後に問題があり、それが終わることで解決しますよね。しかしこれ、よくよく考えてみるとあくまで話の中心はこの問題が起こってから解決するストーリーであり、解決する手段が他の料理だったり、極論料理ではなくても成立してしまいます(まあそれが料理マンガかどうかというのは置いておくとして)。つまり、料理はストーリーにおいて重要なきっかけではありますが、あくまでその全体的な問題解決話が核であって、中心ではないと言うことも出来るのではないかと。

しかし、『孤独のグルメ』の場合は違います。はっきり言ってしまえば、ストーリーはほとんどその料理に行き着くまで、もしくは食った後という過程となっています。そしてその後、料理を食べるシーン(頼むシーン、待つシーン含め)に殆どが費やされます。正直、このマンガは料理なしではただ歩いた話や買い物した話となって、とてもストーリーとして成立しません。また、他の料理で同じパターンを使うことも難しいでしょう(ものによっては不可能ではないとは思いますが)。つまりこのマンガは、前後ともその料理の存在があってものものとなっているのだと思われます。すると、前に説明してきたものとは違い、このマンガにおいては料理が中心となっていると言えるのではないでしょうか。

一見地味なあのマンガで、淡々と進むので料理の扱いも軽く見えますが、こう考えるとこれほど料理を中核に添えているマンガもあまりないのではないかと思うのです。

だけど、『バキ』的なものではなく、こういった方面でももっと料理マンガが増えてもいいと思うのですが、なかなかないのですよね。それは料理をストーリーより強くするということは、気をつけないと本当にただ薄いだけのマンガになるか、グルメ雑誌に載っている料理紹介マンガみたいになってしまうからかもしれません。そう考えると、『孤独のグルメ』ってのは、非常に微妙なバランスで作られた話なのだなと思います。


孤独のグルメ 【新装版】
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