料理マンガというのは総じて『バキ』的なものかもしれない

私は昔から『料理マンガ』というものを読んでいました。実は少年マガジンを買い始めるきっかけとなったのも、アニメの第1話を見て影響され、単行本を買った『ミスター味っ子』からだったりします。しかし、当時から思っていたことですが、料理マンガにはたいてい何というか、「えっ?」と思わせるようなものが存在します。

よく言われているのが「その料理、本当においしいの?」というもの。その対象となるのが、『ミスター味っ子』『包丁人味兵』などの少年誌系、もしくは劇画系でもそういうものが出てくるのがあります。実際に読者が食えないことをいいことに、かなり好き勝手やっている場合がありますよね。ちなみに昔、キャンプの際に、実際にカレーにコーヒー入れていた人間がいましたが、カレーに押しつぶされて全然わかりませんでした(もっとチャレンジャーにどばっと入れればその真価がわかったかもしれませんが)。

いや、それだけではなく、味以前に「それ、違うだろ」というものも多く存在します。たとえば『美味しんぼ』のサラダ対決の際に、ドレッシングを極力使わないサラダを出してきた究極側に対して、海原雄山はトマトを丸のまま出してきて、審査員も納得して引き分けになるのですが、「それ、サラダと認めたらもう何でもありじゃね?」と思ったりしました。さらに『ミスター味っ子』では、タコ焼き勝負の際に、相手が生地ににんじんをすり下ろしたものなどを混ぜた「三色のタコ焼き」を用意してきたのに対し、「七色のタコ焼き」で対抗します。しかし、その七色のタコ焼き、中身がタコ以外にレバーとかこんにゃくとか7種類あって、それを七色と言っているのですが、子供心にも「それ、タコ焼きじゃないんじゃ……」と思ったものです。

これらは料理に基づくものですが、そもそも話からして「いや、それ何も解決してないだろ」というものはかなりあったりしますよね。『ミスター味っ子』で言えば、よく誰か(娘婿や弟子)が親方などに認めてもらうために料理勝負をすることに→味っ子協力して料理作り→その料理を食べて認めてもらって、めでたしめでたしなパターンがありますが、これ、話で主役の味っ子がほとんどの料理を作ってしまうので、本来その腕を試さなければいけない人を試していないと。

美味しんぼでもかなり強引なところは多いです。食って心情の入れ替わる話もそうですが、他にも「ネギマの殿様」という話で、ドジをした富井副部長が人事部長の失態をかわりに引き受ける(熱くて吹き出しそうになったところで、代わりに騒いで恥を引き受ける)ことで見直されるというのがありますが、普通に考えて、あれは山岡の仕込みだろとどんな人でも思いつくだろうと。あと、一見まともに見える『クッキングパパ』でも、いやいや、そこは料理ですべて丸められない(もしくは丸めちゃいけない)だろという話はたまにありますし。

こう考えてみると、料理マンガって料理だけではなくストーリー的にもかなり矛盾だらけなものが多いのですよね。しかし、これを逆に考えてみるとすごいことです。というのはこれらの矛盾をかかえていても、面白く読めてしまうのですから。それこそ、バトルマンガで言えば『バキ』や『魁!男塾』みたいなもの。

あれも冷静になって考えてみれば、かなり矛盾があったり話に無理があったりします。しかし、読んでいる最中はそれを気にしないくらい夢中に読めてしまいます。つまり、そんな細かいところは気にならないくらいの勢いがあると。そしてて料理マンガも同じく、そういった勢いがあると。そしてバキも料理マンガも何度も読んでいるうちに、その矛盾点をツッコんで楽しめるという2度お得な作品だったりもします。現代ではすでにツッコミを通り越して未知の領域に行ってしまった『包丁人味平』のカレー編も、雑誌連載時はおそらく多くの少年は真面目な展開として見ていたのでしょうし。

■参考:「包丁人味平」のカレー将軍・鼻田香作 – ちゆ12歳

そんなわけで、『美味しんぼ』も『ミスター味っ子』も、そういった勢いの中にあるのだなあと思いました。だけどこれは、料理マンガがこういった勢いがあるものしか残れないのか、それとも、料理マンガ自体がそういった勢いを持っているのか、どっちでしょうね。

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