空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

物語において「救い」があるかってのは、人それぞれだなと思う話

※今日のエントリーでは、『エリア88』(新谷かおる)、『愛人』(田中ユタカ)『ヨイコノミライ』(きづきあきら)などのネタバレが若干あります。

ちょっと思い立って『南くんの恋人』について調べている時に、このようなものを見つけました。

結末が救われない漫画探してます - 教えて!goo

ここに書かれているのを読んで見ると、たしかに最後に救いがないようなのばっかり。前述の『南くんの恋人』もそうですし、アニメでは『蛍の墓』とか(ただ、『レヴァリアース』は、『刻の大地』が続いていればその限りではなくなっていたかもしれないですね)。しかし、よく見てみると新谷かおるの『エリア88』とか、田中ユタカの『愛人』などがあります。ここで違和感が生じました。これ、救われてないの? と。

『エリア88』は、最後主人公がそれまでの記憶を失いますが、これ、私的にはそれまでの戦闘の苦しみを忘れて、幸せだった時代に戻れるという、一種のハッピーエンドと感じていました。この手の話としては『キャッツアイ』もそうですね。あれもマンガ版のラストは、状況的にはかなり悲劇ですが、それぞれの前向きな姿勢で、ハッピーエンドにしています。そして田中ユタカの『愛人』ですが、これも第1話からわかっていたように、ラストは主人公、ヒロインとも死んでしまいます。しかも主人公は予想された死に方ではないもので。そしてその地球自体も非常に救いのない世界になっています。しかし、最終話でその主人公とヒロインとの間にとある希望が生まれます。それが死を定められたものの救いとなっていると思うのですよね。

 エリア88 (1) (MFコミックス―フラッパーシリーズ) 愛人 -AI・REN- 5 (5) (ジェッツコミックス)


作品の感じ方は人それぞれによって違うというのは、もう当たり前のように言われています。そしてそれはこのような救いのないと思える話でも同じではないかと。たしかに人間、死とか別れとかがあると悲しいし、その状況は悲しいものです。しかし、それでも何か「救い」のようなものが用意されている場合もあるのですよね。ただ、それを救いと思えるかどうかは、人によって違うと。

あと、誰に着目するかにもよりますね。どんな状況でも生き残ったものが前向きなら救われたような気がしますが、死んだものに着目すると、救われないと。死ではありませんが『ヨイコノミライ』も、着目する人によって救いがある場合と救いがなさそうな場合があります。あ、でも幻想の世界に入り込むことが救いになるっていう可能性もあったりしますが。

■参考:祝・『ヨイコノミライ』完結!(ネタバレ記事) - シロクマの屑籠(汎適所属)

そういえば、ゲームの『うたわれるもの』で、とあるキャラが苦悩の末幼児退行してしまいますが、それもある意味救いととれる場合もあるかも(というか、ストーリーはそう持って行こうとしてますね。アニメは見てないのでどうなったかわからない)。

 ヨイコノミライ 1 完全版 (1) (IKKI COMICS) うたわれるもの 散りゆく者への子守唄(通常版)


こんな感じで、救いがないように見える作品でも、受け取り方次第では救いがあるように見えると。もちろん逆に、救いがあるように見えても、その作品内の現実に着目すると、とてつもなく暗いということも。これは視点の違いによるものでしょうね。ちなみにその視点を利用して、前向きな展開を見せつけておくことで、周りは絶望的でもなんとなくハッピーエンドにしてしまうこともよくあります。

とはいえ、「死」はどうしようもなく救いがないように見えますが、これも見方によっては救いになる場合もあるのではないかと。それは前述のように生きているものに視点を当てたりとか。また、主人公が死ぬ場合でも、人によってはそれが救いとなることもあるようです。昔聞いた話ですが、「マッチ売りの少女」や「フランダースの犬」は、外国(キリスト教圏?)ではちょっと受け取り方が違う場合もあるようです。この二つとも最後には死んでしまいますが、そこには天に召される描写があります。たしかに死は悲しいですが、これはその国の宗教観から言えば、むしろ俗世での苦しみを捨てて、天国に行けるという喜びなのだという話。つまり、ああいう終わり方になったのは、必ずしも鬱エンドにしたいわけではなく、ある意味においてはハッピーエンドでもあるということ。ちなみに童話呼ばれるものが必ずしもこの思想をふまえているわけではなく、中には子供向けとして書かれていないものも多数あるので(これは日本のお伽噺も似たようなものかな)。


そういうわけで、救われないと思っている作品も、よく考えてみると何かの救いが置いてあることはあるのですよね。ただ、受け取り方はそれぞれの自由だと思いますので、それに救いがあるか無いかは感じたままが正しいのだと思います。