空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

『希望の国のエクソダス』に登場するUBASUTEは、何を目的としていたのか考えてみる

前から触れてみたかったネタなのですが、やっとちょっと時間に余裕ができてきたので書こうと思います。少し長めです。

村上龍の『希望の国のエクソダス』という小説があるのを、そして読んだことがある方はそれなりにいらっしゃると思います。概要はWikipediaより。

 ■希望の国のエクソダス - Wikipedia

経済が停滞し閉塞感の漂った現在の日本。そんな現在社会に絶望した約80万人の中学生達は2001年6月ある日突然CNNで報じられた日本を捨てパキスタンで地雷処理に従事する16歳の少年「ナマムギ」に触発され学校を捨てる。 彼らが結成したネットワーク『ASUNARO』はインターネットを駆使して新たなビジネスを始める。「この国には何でもある、だが、希望だけが無い。」と言う彼らは世界中から注目される行動を起こす・・・。

なんかあらすじだとそのまま戦争でも始まりそうですが、そんなことはなく、比較的現実的なものとして書かれています(もちろんそれでも小説としての、ですが)。文庫版が出ているので、興味のある方は読んで見てください。また、かつて読んだ方も読み直してみると、2000年に書かれたこの本と現状とを照らし合わせての面白さがあると思います。

希望の国のエクソダス (文春文庫)
希望の国のエクソダス (文春文庫)


さて、この小説の中では、全国の登校拒否をした学生が『ASUNARO』というネットワークをインターネット上などで結成するのですが、それのひとつとして札幌に「UBASUTE」というグループが生まれ、その主張が社会の注目を浴びます。その主張とは以下の通り。

・現在の最も大きな問題は高齢化と少子化。労働人口が減ることが問題。
・(なのに)老人は威張っているのに仕事をしない。医療費がただなので病院をサロンにしている
・そこで、現代の『姥捨て山』を作らないか。しかし昔と同じだと殺人なので、社会から隔離する。
・老人だけの町を作って、一部の役立つ人以外はそこに住んでもらう。
・その施設で勉強したり何らかの訓練をしてもらって技術や知識が向上した人はもとにもどす。
・老人にテストを受けてもらって、教養や訓練のない人は今までのお金は没収して、今まで散々汚してきた環境を綺麗にするのに使う。何故、老人達が汚してきた自然を僕らが必死に綺麗にしないといけないのか。
・(老人のデメリットを羅列し)そんな老人達と一緒に暮らしたくはない、そんな老人達を僕らの労働で養うのはまっぴらだ。
・そのためのプラン作りを作成する。(以上、『希望の国のエクソダス』文庫版P213、214から)

これ、一見すると、藤子・F・不二雄の『定年退食』なみの老人弾圧社会に見えます。

■参考:最近、藤子・F・不二雄の『定年退食』がますますシャレにならなくなってきているという話

しかし、これに対してASUNAROの実質リーダーである「ポンちゃん」は後に主人公である関谷に語ります。「UBASUTEは現代の日本で最も深く老人問題を考えているグループです」と。これに対してこのときの主人公は、ナチスは最もユダヤ人問題を考えている政党ですと言っているように聞こえたとあります。

では、何故ここでポンちゃんはこんなことを言ったのかというのは、読んだ時、つまり8年前はまだ実感がありませんでした。しかし現代になって、このUBASUTEの主張が、必ずしも老人の隔離政策や蔑視制作ではなく、むしろ言葉はかなり荒いけど老人保護政策かもしれないと思えるようになってきたのです。

さて、この小説での上記のポンちゃんの言葉は2004年、そこでは介護保険が破綻し、自治体のいくつかも破綻、しかも介護マーケットに参入した会社の半数も破綻してしまったという状態にあります。この小説に出てくる細かいこと(経済的なこと等)は話を複雑化するので省きますが、つまりはそういった状況で、国、もしくは自治体が今までと同じように経済的に老人を支えることが不可能になってきているということなのですよね。これ、なんとなく現代の日本に似ていませんか? 

たしかに、「老人を大切にしたい」という親愛の情はまだ小説の社会でも、現実の社会でもあるでしょう。しかしながら、経済的に十分なんとでもなっていた昔ならばともかく、もし今と同じように老人に対しての福利厚生を行っていた場合、財政的に破綻するか、他の分野での大幅な切り詰めが行われてしまうでしょう。もし高齢者が一律で貧しかったらそれでもよかったかもしれません。しかしながらそうではなく、現在の資産の多くを高齢者世代が持っていて、それが労働世代に回ってこないという問題も言われています。もちろん家族とか身内に対しての親愛の情はありますので、(人にもよりますが)そういった個人間での親愛の情は有り続けるとは思います。ただ、それが「高齢者」「老人」という世代での印象は、近い将来より、今までのようにはいかなくなるのではないでしょうか。それはどうしてもその社会的な問題という要素も合わさったものになってしまうから。ネットでは、団塊の世代に対しての非難が出てくることがありますが、それも単純な世代間ギャップではなく、こういった経済的な要素もひとつではないかと思えるのです。まさしく「衣食足りて礼節を知る」とでも言うような感じ。まあ、これには態度の問題というのもある、というかそっちのほうが大きいかもしれないのですが(最近の高齢者の言動や犯罪の増加などを見ても。私だって高齢者であることを盾にとって親切を強要されるような発現をされたら腹立つだろうし)、経済的なものもその大きな要因のひとつとなっているのは確かでしょう。あと余談ですが、最近この手の高齢者の言動やら犯罪で思ったこと。「40歳の人も30年経てば70になる」。

■参考:らくだのひとりごと: 席を譲らなかった若者

それでも、今はまだ表面化はしないでしょう。それは昔の、そして現在でもいる「良いお年寄り」を知っているので、そういった人には親切にしてあげたい故、世代全体でも気を遣っている面があるから。しかしながら4〜50年後、経済的その他の要素でマイナス面が積み重なった時、老人となった私たち世代は、若い人から親愛の情を持ってもらえるでしょうか。いや、よほど楽観的な人ならともかく、そうは思えないでしょう。そうなると『定年退食』の世界がますますシャレにならなくなります。だけど考えてみればあの世界も労働世代から見れば、老人問題が積み重なった結果、ああなってしまったのかもしれません。


となると、それに対してあきらめて、捨てられるのを待つだけなのか。そしてUBASUTEの主張はそれなのか。いや、そうではなくてUBASUTEは全く逆に、老人が尊敬の念をもたれる方法、とまではいかなくても、蔑視されないようにする方法を画策していたのではないかと思えるのです。

UBASUTEのコメントは「労働人口が減ることが問題」というのが前提となります。しかし非労働者である老人が増えるのが問題となっているので、施設で訓練を受けさせると。つまりこれ、高齢者に対する職業訓練ではないでしょうか。つまりは定年となった老人を、その状況で出来る仕事に携わらせることによって、再雇用を目指すと。つまりはこれは棄民政策みたいなものではなく、むしろ職業訓練ということではないかと。現在の状況に照らし合わせると、年金の実質受取額が減るわりに物価が上昇し、高齢者の生活苦が問題になっていますが、それでももし労働が可能ならば、働きたいと思う人はいるでしょう。しかしそれに対するスキルなどがない。なのでそれを教えるために作ろうとしたのがUBASUTEではないかと。

なら何故、財産を没収しようと書いたのか。それはおそらくやや大げさな表現でしょうが、このくらいしないと、若い世代からの親愛の情を勝ち取れないと思ったからではないかと。しかし何も本当に財産を没収するというよりは、その財産を使ってその世代が過去に残してきた負債をゼロにするという感じかなと。高齢者への親愛の情がなくなってきている要因のひとつとして、前述の通り社会全体の経済的な問題が出てきていると思うのですよね。となると、それを克服すればまずその原因のひとつを取り除くことができると。もし病気などで働けなくても、同じ高齢者の労働可能な人が働くことで、介護のための税収が生まれますから、高齢者が負担をかけるという意識が薄らぐと(そもそも本当に病気の人に無理をさせるという思考は、他の世代にもないでしょうし。病気は誰でもなるものだから)。

つまり、「負債を後の世代に回すな」という若者が持つ思考に対して応えるものが、その経済であり、UBASUTEの理念ではないかとも思えるのです。この場合、もちろん雇用者側がその高齢者を受け入れる体制が整っていないといけないのですが、それに対してUBASUTEが動いたかどうかまでは書かれていません。しかし後の北海道の描写で、「日中、老人の姿はほとんど見ない。それはみんな労働に出ているから」という描写があったり、特養老人ホームがあって、リハビリなど再雇用の設備が整っているけど、同時に甘やかされることもないと書いてあります。ただ、モチベーションのない人は住めないとも。UBASUTEは、そういったモチベーションを持たせる施設としての機能も果たすつもりだったのかも。

ちなみに現実でも将来、こんな光景が増えてきてもおかしくはないし、それが普通になってくるとも思えます。

J-CASTニュース : 気配り上手は評価される 60歳以上でファストフード店で働く人

つか、問題は高齢者よりも、雇用側のような気もしますが。でも、今でも定年後にバリバリ働いている人もいるでしょうし、ケースバイケースなのでしょうね。


そんなわけで、昔は老人隔離政策のように感じられたこのUBASUTEの考え方も、今の社会状況と照らし合わせると、暴論ではなかったのだなと感じるのですね(もしかしたら、書評サイトさんとかで既に同じようなことが書かれているかもしれませんが)。小説が執筆された時、そこまで考えられていたのかはわかりません。しかし現状に照らし合わせた時、このUBASUTE問題含めいろいろな面でぴったりくると、驚きますね。

まあ、中学生が登校拒否して、彼らが北海道に新しい地域社会を作るってのはお話でしょうが、これが組織だっておらず、且つ流出先が北海道ではなく、海外と置き換えた場合、どうなるのかなと思ったりします。