空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

現代の雇われ経営者は自社の見えない資産を食いつぶすか

私は企業の経営者でもなければ重役になったこともないのでよくわからないのですが、素朴に疑問に思ったことがあるので、ちょっと質問も兼ねてこのエントリーを書いてみたいと思います。

最近、大企業でもとある日に突然経済系ニュースサイトの「倒産情報」にいきなり載って、驚くことがあります。ここ10年くらいで一番驚かせたのは、山一證券の突然の自主廃業でしょう(もっとも銀行の融資を打ち切られたり、国に見捨てられたりと、実質は倒産ですが)。さて、あの事件の場合は前社長と会長が補えきれない簿外損失をやらかしたせいで廃業に追い込まれまして、その後前社長と会長は証券取引法違反や粉飾決算で有罪が確定します。

■参考:山一證券 - Wikipedia

さて、この場合は結果として、会社を危機に陥れた前の経営陣が逮捕されることとなりました。しかしそれは、粉飾決済という犯罪行為があったからです。まあ、犯罪行為が無くても、倒産した会社の前経営陣に対して「多大な損失を被らせた」と、損害賠償を請求されることはあります。ただしそれは、会社を私物化していたとか、露骨に会社を損させる場合に限られている感じがします。

しかし最近、こう思うのです。雇われ社長は、その就任時の業績をあげることが使命となります。そして、そのためには長期的に見た会社の将来を犠牲にしても、その時点だけよければ評価は高くなるのではと。

では、犠牲にするものとは何か。それは「現在、業績の評価に加わらないもの、もしくは加わりにくいもの」。具体的には、人件費、例えば社員教育にかかる経費を削ってしまえば、その分の費用が浮きます。ほかにも将来を見据えた設備投資なども控えれば、その時点での支出はなくなるでしょう。
支出を控えるだけではありません。たとえば、会社のそれまで蓄積してきたノウハウを「提携」という名で譲渡することにより、その時点では利益を上げることが出来るでしょう。

しかしながら、それは10年以上後、すなわち社長が退任し、その当時の経営陣がいなくなった時、確実に売り渡した反動が来る可能性があるのではないかと思うのですね。つまり残るのは、教育されていない人材、すでに時代遅れの設備、そして他社に渡り、独自性のなくなってしまったノウハウ等。つまり、お金ではない、見えない資産とでもいうべきもの。

その、ノウハウの例として、最近のゲーム業界に感じていることひとつ。たとえばゲームはリメイクばかり作ればたしかに売れますが、それと同時に新しいコンテンツを作り出さなければ、既存のゲームのコンテンツ力を消費するだけになります。そして同じく経営陣が退任した10年後、オリジナルを作る力はなくなっており、しかも、前の時代に新しいコンテンツを作ってこなかったためにリメイクももう出来なくなっている。かといってその前までリメイクしていたものは、コンテンツ力を無くしている、何て可能性もあり得るのではないでしょうか。故に、リメイクに偏る方法は長期的に見ると危険だと思っています。ちなみに任天堂や最近のSCEは、売れなくても定期的に斬新なオリジナルをリリースしているので、そのへんうまいなあと思います。


ただし、このようなことをしても当時の業績をその今持っているもので上げるのが社長の使命ですから、数年後上のような状態になっても、その責を問うのは難しいでしょう。いや、本当に熱心な経営者なら、そのことも考えるでしょうが、非常にドライな経営者なら、在任期間中だけよければ、あとはどうなってもいいと考える人がいるのでは? と思ったのです。それを律するのは株主ですが、株主もいざとなったら売ってしまうことは出来ますしね。

そんなわけで、今の日本ではこのような現象が起こっているのではと。特に、例示してきたようなメーカーは深刻でしょうね。かといって、その他の業種も安全というわけではないでしょう。特に人材育成なんて、どの会社でもかかわってくることなのですから。

だけど、このあたりアメリカとかはどうなっているのか、知りたいところはありますね。何十年も前の育成不足による経営責任を問われるのか、それともその当時からコンテンツを食いつぶさないような規制が出来ているのか。


とはいえ、今の日本、処々の政治的、経済的問題を見るにどう見ても現在の負債を未来の世代(我々)に押しつけようとしているようにしか思えないところが多々あるので、先を見通す経営者が自己のためにこのような思考を持っても仕方がないのかもしれません。はあ……。