空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

国内で北京オリンピックが盛り上がりに欠けるのは、皆が黒沢と同じ心境を味わっているからかもしれない

久しぶりにネタタグもの(内容はともかく、タイトルがちょっとネタっぽいので)。

北京オリンピックが今日からです。しかし今回は、なんか日本国内での盛り上がりに欠ける気がするのですよね。他の人がどうかはわかりませんが、とりあえずオリンピック前にはたいてい売り上げが伸びていたテレビやレコーダーは、今年は全く売れていないみたいです。

五輪商戦:薄型テレビ伸び悩み エアコン急伸…猛暑の影響

まあこれは上のようなクーラー買い換え需要&それ以外に使うお金がないこと、地デジ移行問題(及びそれに関わるテレビ視聴低下)などが絡む複合要素なので、オリンピックが盛り上がってはいない絶対的な証拠にはなりませんが、体感として、そのように感じます。実際、やや高齢の人何人かに聞いても「今年は別にどっちでもいい感じ(見るけど)」というふうでした。

さて、これは前述のように意図的、意図せず両方のテレビ離れ、そして中国国内の数々の問題(特に毒ギョーザ)での影響もあるでしょう。しかしもうひとつ、日本人、特に若年層がオリンピックにあまり関心がもてなくなってしまった理由というのが思い浮かびました。それはこのマンガで。

最強伝説黒沢 1 (1) (ビッグコミックス)
最強伝説黒沢 1 (1) (ビッグコミックス)

有名な福本マンガ『最強伝説黒沢』です。さて、このマンガは、ワールドカップを熱狂してみているつもりだった黒沢が、実はこれは他人の感動であり、自分は「感動などないっ……!!」と気づいてしまい、心が空虚になるというところから始まります。そして自分の感動は何かを考えはじめます。

さて、これと同じ意識を持っている人が、増えてしまったのではないかと。現在、不況だ派遣問題だなどで、あまり先行きが明るい社会状況とは言えなくなっています。そして、その煽りを喰らっている人は多数いるでしょう。いや、たとえ今は安定している人でも、終身雇用などほとんどありえない昨今、今後どうなるかなんてわからない、先行きに明るさをもてない人は多いでしょう。さて、そんな人がオリンピック、すなわち他人の感動を気にしている暇があるかということになります。これは、若年層ばかりではなく、年金問題なので苦労している老人も同じかもしれません。ただ、そういう人たちの場合は、少しでも明るくなるための娯楽としてテレビが活用できるので、オリンピックを見るかもしれません。しかし残念なことに、私たちの年代では、テレビで明るくなることが出来る人は、高齢者の方に比べて少ないのではないかと。

いや、何もリアル生活が暗めな人ばかりではありません。おそらく一番多いのは、オリンピックを見て充足感を得る暇がない人がほとんどではないでしょうか。つまり、テレビの前で応援する時間に帰って来れず、録画して、もしくは電車の中にてワンセグでオリンピックを見るなら、その分寝るみたいな人。つまり、オリンピックというコンテンツよりも、ほかのコンテンツのほうが充足を得られるという人がいても、おかしくはないでしょう。少なくともネット(メール)なら、対象は狭くとも、自分が発信できるのですし。まあ、リア充な人も層ではない人も、ライフスタイルがここ数年でかなり変わってきたというのは間違ってはいないと思います。

もちろん、スポーツ観戦が好きでオリンピックを趣味として見られる人はそれでよいでしょうが(というか本来の意義はこっちだよね、たぶん)、そうではない、スポーツは普段見ないけど、「オリンピックだから」「ワールドカップだから」と盛り上がる人は、昔に比べて減ったのではないでしょうか。


でもそもそも、オリンピックもワールドカップも好きでもないので見るものではないと思うので、気の向いたままに楽しむのが一番ではないかと。ちなみに私はテレビを見て、そこに何十分もクギづけになっている暇はなさそうですが、ネットでの成績チェックくらいはすると思います。