ベタ、マンネリ的展開は今までそれが好まれ何度も使われたが故になる

先日、『『冬のソナタ』が流行ったのは、そのベタさ故だと思う話』において、タイトル通り、冬ソナが流行ったのは、その展開が日本のドラマではベタとかマンネリだとか言われたものをあえてやったことが、逆に視聴者にとって受けたということを書きました。今日はその『大いなるマンネリ』について書いてみることにします。

前回は『水戸黄門』の印籠の話を書きましたが、当然ですがあれも最初はマンネリではなかったのですよね。実際、第一部とか(東野英治郎時代の八兵衛未登場)では、印籠を出すシーンはありませんでした。しかし、そのうち印籠が好評を受けたことで、8時40分台の「この紋所が〜」が長い間続いてきたのでしょう。そこで思うのですが、その印籠が出るまでも、終盤でのいくつものシーンはあったと思われます。しかしそれは今ではよく覚えていません。

話がちょっと代わって、先日買ってきたマンガに『ベリースイート』という4コママンガがありました。
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ベリースイート (IDコミックス 4コマKINGSぱれっとコミックス) : 神武 ひろよし

これ、学園もので、先輩と後輩やら幼なじみやらの関係がほのかに描かれています。なんか、昔の少女漫画を現代の萌え系4コマ風にしたという感じ。もっと具体的に言えば、昔の竹本泉マンガ(最近はSF成分のほうが強いなっているから)の恋愛テイスト。それは作者もあとがきで認めているようで、「だってベタが好きなんですもの!!」「安直ではなく王道なのです」と描かれています。しかし、(個人的にはですが)このほのかな空気がいい感じなのですよ。

たしかに幼なじみの微妙な仲とか、勉強を教えるのを「デート」と他人に言われてはじめて意識するとか、他人に軟派されているのを激しく怒るとか、昔からよくあったパターンです。しかし考えてみれば、そのパターンが好まれない限りはすぐに使われなくなるでしょう。実際、そうやって捨てられたパターンというのはいくつもあるでしょう。しかし、ベタとかマンネリとか言われつつ、今でもなにげに使われているパターンというのは、それが多くの人にとって好まれるから、そして需要があるから使われているのではないでしょうか。つまりは、人に好まれない展開の場合、そもそもベタ、マンネリになること自体がありえないということではないかと。

最近、恋愛ものでも昔の少女マンガテイストとか、昔の少年マンガテイストの、主人公とヒロインがケンカしたりしながらだんだん接近してゆくというものが少なくなっているような気がします(というか、急速に相手を意識させるライバルの存在があまりないかも)。そして代わりにハーレム的な要素、同性の仲良し(もう一歩進めば百合)的なものが増えているかなと。でも、そういうのって最後にくっつかないで、「みんな仲良く〜」的に終わるものが多いのですよね。個人的にはそれ、どうも消化不良的な感じがするのですよね。特に萌え系と言われるマンガでは(まあだからといって、同性もので本当にくっつかれても困るものが多いけど)。ですので、こういった王道的展開も上記のようにマンネリと言われつつ需要はあると思うので、もっと増えてほしいと思う次第。まあ、自分の好みですけど。

たしかに便利な道具として、その王道シーンだけが使われるのは、話全体を陳腐にしてしまう危険性がありますが、中身がしっかりとしていれば、たとえパーツとしてはベタやマンネリと言われる展開でも、それは十分おもしろくなると思うのですよ。そして支持もこれまで描いた理由のように得られると思います。

どうもこういった話では、パーツで見てみると斬新なものが支持され、古いものは評価されない傾向がありますが、全体を見てみると必ずしもそうではないと感じます。故に、部分だけを見て評価するのは危険かなと。結局は新しい、斬新なものと、古い、成熟したもののバランスで、どっちにも偏りすぎるのはよくないのかと(新しいものが、今後ずっと支持される要素で占められていればいいのですが、それはさすがに不可能でしょうし)。

何を況んやとすると、『ベタな幼なじみ関係的な恋愛展開結構!』という、説得力が欠ける一言を書きつつ今日はこれまで。

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