『ビックコミックスピリッツ』黄金期回想

最近、美味しんぼにおいて海原雄山と和解し、とうとう連載も一区切りとなりました。同時にこれは、『ビックコミックスピリッツ』の歴史にも一区切りがついたような気がします。

最近ではヤングサンデーとどっちを休刊させるかなんて話題に出てきてしまう『ビックコミックスピリッツ』。無理もありません。発行部数は37万部程度で、ヤングマガジンやヤングジャンプ、モーニングに抜かれ、すぐ下にはビジネスジャンプやスーパージャンプが迫っているくらいですから。しかしながら、この雑誌も20年近く前は超黄金期で、青年誌ではトップクラスだった時期もあったのですね。

ちょっと歴史を振り返ってみると、この雑誌は1980年10月創刊。初代編集長は、『サルでもかけるマンガ教室』の編集長で有名な白井勝也氏。そして月刊、月二刊を経て1986年から週刊となりました。そして、1990年の発行部数はなんと150万部。(参考:ビックコミックスピリッツ – Wikipedia)これだけの売り上げを誇った理由は、まず第一に、当時「月9」なんて言葉を生み出したトレンディドラマブームがあったでしょう。フジテレビの月9には視聴率30%に届くような多くのドラマが流れましたが、その中で柴門ふみ原作のドラマ『同級生』『東京ラブストーリー』『あすなろ白書』が大ヒットしたため、原作の載るこの雑誌も大量に売れたのです。ちなみに当時から夫の弘兼氏も『課長島耕作』を連載していたはずですから、現在の富樫夫妻に匹敵する、日本一稼いでいる漫画家夫婦だった可能性があります(でも私の柴門ふみのイメージは、『ぎゅわんぶらあ自己中心派』のオクトパシーふみのイメージ)。

柴門ふみ漫画だけではなく、当時美味しんぼもアニメ化をはじめていましたし、連載でも二木まり子との恋愛争い前後の一番面白い時期でした。あと、『YAWARA!』もブームとなりましたね。ちなみに同時に来田村亮子が活躍したので(以下略)。そのほかにも、『伝染るんです』が妙に話題となったり、『りびんぐゲーム』『じみへん』『クマのプー太郎』『コージ苑』『めぞん一刻』『ツルモク独身寮』、『ギャラリーフェイク』(これもけっこう昔からだね)ほか松本大洋、さくらももこ、山本直樹、高橋しん、一色まことが描くといった、非常に層の厚い雑誌でした。これだけのメンツがそろっていれば、それは売れるでしょう。同時期、ジャンプ600万部の陰に隠れていましたが、こちらも十分すごかったと思います。

しかし、この雑誌のすごいところはもうひとつあります。実は見ての通り、なんとなくライトで明るい恋愛ストーリーのものが多かった同誌ですが、巻末から二番目のマンガは決まっていました。それは楳図かずお先生のマンガ。

先述の、初代から長い間つとめた編集長の白井勝也氏は、楳図かずお先生の少年サンデー時代からの担当で、作品にも登場するくらい密接に関係した編集者だったようです。その白井氏が、ビックコミックスピリッツのそのスペースを楳図スペースとして常に確保してあったのですね。たしかに、当時の『東京ラブストーリー』的なライトな流れからはそのページだけ浮いていました(もっとも巻末が、『伝染るんです。』『コージ苑』『パパはニューギニア』という濃いマンガだったので、ひとつだけ浮いていることはなかったですが)。実際、軽い雑誌だと思っていたら『神の左手悪魔の右手』を見てしまったのは、私の小学生時代のトラウマ(すげー怖いのよこの作品)。ですが、たとえ浮いていてもこの『わたしは真悟』『神の左手悪魔の右手』『14歳』を連載して、この作品を作る場を楳図先生に与えたというのは、『ビックコミックスピリッツ』の最大の功績のような気がします。また、『サルでもかけるマンガ教室』のような野心的な作品が発表されたのも、あの当時のスピリッツの土壌があってこそのような気がします。

最近は、どうも元気がなく、テーマがなんだかよくわからない同誌ですが、ヤンマガの面白い作品を取り込み、あの時代の活気を取り戻して欲しいと思ったりします。

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伝染(うつ)るんです。 (1) (小学館文庫) : 吉田 戦車

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