他の人が『知っているはず』という認識はあくまで主観であり不確実だということ

『奇歌『僕はロリコン』の謎に迫る』を書いた時のこと。

奇歌『僕はロリコン』の謎に迫る
インターネット発展期から、ネット上でたまに発見される奇歌があります。それは『僕はロリコン』というもの。広まったのは、FLASHやMADからでしょう(以下のものも発展期のひとつですが、これ以前にFLASHがあったような気がします)。【ニコニコ動画】僕はロリコン MAD

当時わりと流れていたらしいので、ラジオリスナー(特にTBS系)は当たり前という人もけっこういるし、そこからの情報である程度広まっているかもとは思ったのですね。しかし、実際は知らない人がかなりいたと。

ここで思ったのは、情報はある人にとっては常識でも、また別の人にとっては非常識(ここでは常識ではないという意味で)なのだということ。

文字で書くと当たり前のように見えますが、これ、かなり認識しづらいことです。それは人間、自分の知っている知識は、他人も知っていて当然、という意識が働いてしまいがちだから。たとえば居酒屋の雑談や合コンなどでも、世代が同じだからと「おそらく通じるだろう」と昔のことを話していたら、全然通じていなかったということが起きるのだと思います。当然居酒屋に限らず、仕事中の会話でも、相手が知っているはずという見込みで話していたら、全然わかってなかったとか。それでもってすれ違いが起きることもよくあるでしょう(まあわからないことを放置しておくほうの問題はまたありますけどね)。

それは何も、性格や知識が離れている人だけではなく、例えば趣味が同じもの同士、例えばアニメオタク、マンガオタクでも、ある一方の人のもっている知識を、もう片方は知らないなんてことはあるでしょうね。例えばガンダムが共通言語と思っている人は多いようですが、私含めてそこまでは思い入れのない人(アニメ見たのみでガンプラとか買ったことない)、そして全く知らない人はオタク内にも多数存在します。

そして今回の場合も、おそらくこの話題が出てこないで、かなり長い間知らない人がいた背景には、知っている人が「みんな知っている」と思って、いちいち発信しなかった、というのも一因ではないかと思えるのですよね。まあWikipediaにも載ってましたし、そう思いがちなのは納得ですけど。私としても、書く前に思っていたのは「まあ、個人ブログだし7割知ってても、知らない3割に伝わればいいかなあ」という感じで、知っている人がわりと多い可能性も考えていました。故に、知っている人でもなつかしネタとして楽しめるように書いたりしてますが(ペヤングとかの話題はそのために持ってきたのですね)。

となると、もう一度身の回りにある自分の知識のうち、常識だと思っているものは、他人にとって本当に常識なのかというのを考えて見ると、かなり興味深いと思います。そろそろネット上なら、かつて2chに対抗した1chという掲示板があって、それはアスキーの創業者か作ったとかいうのもヘビーなネットユーザーといえど常識ではなくなっているのかもしれませんし、そろそろモナーやモララー、8等身といったアスキーアートがわからない人もはてなユーザーの中にいるかもしれません(このへんは歴史的要素なのでジェネレーショギャップという気もしますが)。

そして、そのうち重要なものは、当たり前のことをいちいち言うかもというリスクをかかえながらも、発信する必要があるのかなと。例えば『コミケにおける徹夜は迷惑なだけじゃなくハイリスクローリターンだという話』で書いたような、コミケのルール・マナー系なんてのもそのひとつかと。自分にとっての常識は、他人にとって常識とは限りませんから。そしてその逆も。ましてやネットという非常に多数の人を相手とする場であれば。

もしかしたら、この文章自体もある人にとっては認識し尽くされている当たり前のことかもしれません。ですが、これが当たり前ではないという人もきっといるのでしょう。そういう人たちに向けて発信できればそれを知ることが出来、既に知っている人はそれを補足、強化、訂正するという形で携われば、その知識自体が発展すると思います。

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