空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

マスコミの奢りと同じものをネットも抱える危険性があるのではないか

先日、『なぜ視聴者参加番組は減ったのか。』というエントリーを書いてからしばらく考えていたのですが、やはりこれの根底には「テレビ局(マスコミ)の奢り」みたいなものを感じている人がいると考えます。つまり、「(多くの人に放送される)テレビに出してやるんだからありがたく思え」的なもの。しかしながら、それが態度として露骨に表に出るにせよ出ないにせよ、こういったオーラを今、テレビ局、ひいてはマスコミに感じ取っている人が多いと思います。ネット上でも、そういった話題(特にマスコミによって曲解されたような報道に対しての反発)が定期的に飛び交う感じですし。そして、それに対しての反発を持っている人もネット上にはかなりいると思います。正直、私もそういう目にあったら腹が立つと思います。

とはいっても、こういうことって別にマスコミに限ったことではありませんよね。別にこちらにとってはそれほど重要なことでもないのに、別に格上とは思っていない人から「○○をしてやるからありがたく思え」と言われたら、怒りたくなるでしょう(まあ格上の人でもいい気分はしませんよね)。例えば金に困っているわけでもないのに、立場が同じとみなしていた同僚や友人から「おごってやるからありがたく思え」と傍若無人なふるまいをされたら、喧嘩になるか、金を投げつけてその店を出たくなるでしょうし。その手の人間の例えとしては、『げんしけん』のハラグーロこと原口あたりでしょうか。

このように、特別な(と自分が思う)地位になった時、それを持ちうることの「奢り」が出てくるというのは、人間につきまとっている現象だと思います。それこそ「社会」というものが出来て以来、いや、それ以前からかも。

さて、ここで思うこと。今はマスコミにその「発信者としての奢り」が見られると感じるわけですが、それはやがて、同じ発信する媒体としてのネットにも言えるようになるのではないでしょうか。今はたしかにネットというのは、それより大きな発信者であるマスコミにたたかれているようなイメージを受けます。しかしながら、ネットの広がりはかなりのものとなっている昨今、そこに奢りが生まれても不思議ではありません。だって、ネットを使っている人だって全員が全員聖人ではないのですから。たしかにネットを使っている人に悪い人はいないと思いたくなる気持ちはあります。でも、残念ながらネットでも現実と同じように詐欺も悪徳商法もあるのです。*1ならば、今奢っているマスコミの人のように、ネットでもそういう人が現れても不思議ではないでしょう。

例えば、『ギャラリーフェイク』では、アメリカでとある映画評論サイト主催者「カイザー」が力を持ち、映画会社がちやほやしてしまうことで堕落してしまい、とうとう自分の気にくわない(枕営業の誘いに乗らなかった等)映画を酷評するようなことをしだすことになります。それをフジタが懲らしめるわけですが(しかし細野不二彦マンガって、村上隆氏を意図した感じのものといい、こういった世相に対して鋭いですよね)。これはマンガですが、可能性としてこういったことが起きることもあり得るのではないかと(ただ幸い現在のネットの場合、そういうサイトがあれば他のところからの自浄作用が働いて代わりのものが出てきて、衰退してゆく傾向があるとは思いますが)。

しかしながら、これは大きいサイトやらブログを持っている人に限らないと思います。ネットを利用しているというだけでその大きな輪に属し、他の何かに対しての「奢り」を見せてしまうという人も現れる可能性があると思います。さも、テレビとか広告業界人だけで威張りちらすというタイプの人みたいに。最近ではすっかりウケ狙いになってしまったコピペで「ネット(2ch)の総力をあげて潰す」なんてのがありますが、その心が本当にあれば、それも奢りですよね。まあ、その台詞自体が失笑の対象となるのですからいいのですが。

あと、最近だと(どこまで本気だかわからないのですが)不法アップロードに対して「宣伝してやっている」という人がいますが(参考:『アダルトアニメ会社からの重要なお知らせ』のコメント欄の一部)、それこそ最初のようなマスコミがかかえるものと同じ「奢り」ではないでしょうか


正直なところ、奢りの心が生まれるのは前述のように人間の心理として自然とは思うのですよ。例えば学校の成績が良くても優越感を全く抱かないなんてこと、出来る人がどれだけいるでしょうか? そんなのを抑えられるのはかなり人間的に出来ている人でしょうし。またある意味その優越感が人間を成長させる原動力となる面もあると思います。ただ、奢りの心を持っても、それを露骨に表に出してはいけないと思うのですよね。ましてや、自分に都合のいい行為の言い訳にするなどもってのほかではないでしょうか。

あと、ネットでも当然いい人もいやな人もいるように、マスコミにもいやな行為をする人同様、いい人もいるでしょうから、(「傾向として」言いたくなる気持ちはわかるのですが)個人(いやな業界人)で全体(マスコミ)を論じても、全体(マスコミ)で個人(いい人かいやな人かわからない業界人)を判断するのはまずいかなと。実際、良いテレビ制作現場の話も聞きますしね。


最後に、自分が好きな、というか、座右の銘とは違うけど覚えていなければいけないと思う言葉。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
 おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ」
(平家物語冒頭)

*1:ま、転じて言えば、現実でもネットでも犯罪行為が起こっているのに、ネットだけ規制しようというのは変じゃないか、って思うわけですが。この話はまた別の機会に。