空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

私が岡田斗司夫氏の「オタクはすでに死んでいる 」に腹が立たない理由

※ちなみに今日は、元となっている本をまだ部分的にしか読んでいない、聞きかじりの知識で語りますので、ご了承くださいませ(重大な間違いとかありましたら、ご指摘ください)。

こんな時間ですけど、たぶん寝ると更新できないだろうからいまのうちに。

ネット上で今、一番話題になっているのはこれでしょう。

「好き」の分厚い壁
『オタクは既に死んでいる』への周回遅れの反応こそが「オタクの死」の証明かも
岡田斗司夫問題は深いな

ぶっちゃけ、本の話題作りじゃね? とも思えますが、それはおいておくとして。


まあ、これに関していろいろ思う方は多いみたいですが、別に私、特に腹立つとか思わないのですよね。というのは、岡田氏が言う「オタク」と、私の考える「オタク」が言葉は同じでも、それが指しているものは違うものと思うからです。

そもそもどのような人間からを「オタク」を明確に定義づけられる人がいますか? おそらくはいないでしょう。それこそオタクというものに対して誇りを持てるように使われることもありますし、逆に非難の対象として使われることもあります。また範囲も非常に拡大し、マンガやアニメだけではなく、「バイクオタク」「登山オタク」「サッカーオタク」など、それこそ言葉の出自とされている中森明夫氏の文章の意味からは違うんじゃないかと思う方向に使われることさえあります。そんな言葉ですから、「オタク」という言葉自体、人によりそれに含まれる要素は明確に違うのだと思います。

それと同時に、自分をオタクという人でも、それをフォローしている範囲というのはそれぞれ違うでしょう。正直、全く同じだけ同じ分野の知識を得、同じ度合いの趣味を持っている人はいないと思います。ゲームにはまり込む度合い、マンガの知識を得ている度合い、そんなのは人それぞれです。

それは年代によっても同じことです。例えば私はゲーム好きですが、80年代前半アーケードはリアルタイム経験がないので弱いです。またPC88時代も弱いです。しかしそれが自分のゲーム経験のコアだという人も多数存在します。おそらく私の後の世代には、私がプレイしたものをよく知らない人も出てくるでしょう。例えばゲーム好きでも、ファミコンやをやったことのない世代とか(つか実際いるんだよなあ…)。それと同時に、私も最近の小学生があたりまえのようにやっていたムシキングをやったことがないので、そっちの知識は欠けることとなるでしょう。


で、何を言いたいかというと……また図にした方がわかりやすそうなのでそうしてみました(急増なので雑なのは勘弁してくださいね)。

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これは「オタク」という言葉が誕生してから、今までの概念図のつもりで作ってみました。上ほど過去、下に行くほど時間経過で現在、そして未来に。そして線の間の「ジャンル」はアニメなりゲームなり、オタク的なもののジャンル(前述のようにその範囲も変わると思うので、数を定めません)、そしてところどころにある楕円は、個人々々が抑えているオタク分野のコア部分です。

岡田氏は「オタキング」の言葉通り、その言葉が生まれた時点から、そういったものに対しての活動をしてきました。そのときの知識はいくつものジャンルにまたがる幅広いものだったと思います。しかし、そのジャンルは時間が経つ事にだんだんと広がってゆきます。また、分岐や新しく生まれるもので、どんどん範囲が広がってゆきます。それを岡田氏が全部抑えているとは正直思えません。実際、エロゲーやネット論について岡田氏が深く、それこそかつてのマンガや特撮、アニメのように語っているものを聞いたことも読んだこともないです。でも、それはここまでオタクという概念が広がりを見せてしまった以上、追い切れないのは当然でしょう。今までの歴史がそうであるように、当然世代による知識差が生まれます。

さて、岡田氏の言う「オタク」というものが上の黄色い楕円の範囲をコアとするものならば、私はまた下の方の別の楕円だと思います(まあ図はイメージなので、範囲はつっこまないでね)。まあコア部分を示す楕円なので、もっと広げていけば岡田氏と私で重なる部分もあるでしょうが、その中心は重ならないと思います。つまり、岡田氏の定義している「オタク」と、私の思う「オタク」は多くの部分において違うものだと考えます。だから、たとえ岡田氏の思うオタクを否定されても、腹が立ちようがないのですよね。全く別のゾーンのことを言われたと思っているので。

岡田氏と同じ世代、例えばオタクアミーゴズの眠田直氏や、と学会の山本弘氏がこの件について怒るのでしたら、それはもっともだと納得できます。それは世代的に、岡田氏の言う「オタク」の意味に近い要素の集合体を持つ人たちですから(客観的な思い込みで、全然違うかもしれませんが)。ですけど、私の思うオタクのことを言われたとはどうしても思えないのです。

そもそも、私の世代では岡田氏の言うオタクの文化は過去の読み物としては面白いと思えてきましたけど、そんな同調は出来なかったかなと。だって、ネット文化のことやゲーム音楽のこと、とりあげてくれたことほとんどないですし、私にとっても特撮なんて完全に知識外ですから。

例えば私の場合、ネットがかなりオタク生活で位置を占めるようになっているので、そこで影響力のある人、たとえば小飼弾さんがいきなりブログ否定をしたり、ひろゆき氏がネット否定したり、大手ニュースサイトの管理人さんがいきなり(ネタじゃなくてマジで)ネット世界否定をすれば、それは驚くと思います。ただ、岡田氏がオタク否定をしたところで、別にとある物書きな人の一意見としか思えないのですよね。まあ「こういう立場にあった人がこういうことを言うんだ」と驚きはありますけど、それが自分のことを言われているとは思えない。故に腹も立たないというわけです。

考え方によっては強烈なことを言っているかもしれません。でも、これが本音なのですよね。怒っている人は、本当に岡田氏と同調していたのでしょうか(それならもっともですけど)。まあこうやってとりあげること自体、私も何らかの影響を受けているかもしれませんが、それはそれで。


ま、今寝る前に勢いで書いた面があるので、もうちょっと本を読むなりして考えたいと思います。もしかしたら思い違いがあったり、私が思ったことへの回答がすでに出されているかもしれませんしね。


◆追記
起きた。図の岡田氏の範囲円は、どっちかというの岡田氏の主張準拠のものとなっていますので(要はオタキングとしての位置ですね)、これの大きさや位置は読まれる方のご判断におまかせします。
ちなみに書いているときに「近頃の若いものは(的思考)」という言葉が何度も頭をよぎりましたが、これを書くと双方にとって思考停止に陥ってしまう恐れがあるので(たとえ岡田氏の書いたことがそういっているようにしか読み取れなくい人がそれなりにいるとしても)、NGワードとしました。

あと、「自分はそれほどオタクという言葉(存在ではなくてあくまで言葉)に愛着を感じているか?」と言われると「いや、別に言葉自体はどうでもいい」ってかんじなのですよね。そのへんの違いも、腹が立たない理由なのかも。となると、共同体意識の希薄可という指摘は当たっているかなと(それイコール死はどうかって感じですが)。