麻呂AAの台詞に矛盾がないか考えてみる

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           ト、;;;;;;;;;;;;;;;` ` '' ー -- ‐ '' ";;;;;;;;;,:ィ;:;! 
          ,';:``' ‐ョ 、 ,_ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; , - '"l;:;:;:;:l   だまりゃ!そのほう麿をなんと心得る! 
          l;:;:;:;:;:;:;ミ   ` ` '' ー -‐ '"    ,リ;:;:;:l 
          l;:;:;:;:;:;:;:ゝ   く三)   (三シ  `ヾ;:t、  恐れ多くも帝より三位の位を賜わり 
         fミ{;:;:;:;:f'´  , -−-_,, _,ィ 、_,,ィ,.-−、  };f } 
         l トl;:;:;:;:l  、,ィ或tュ、゙:ミ {,'ィt或アチ l:l,/  中納言まで勤めた麿の言うことを聞かなくば 
         ゙i,tヾ:;:;:!  `ヽ 二ノ   ト ` ‐''"´  l:l:f 
          ヽ`ー};:l       ,r'、   ヽ      リ_)  どのようなことになるのか分かっておるのか! 
           `"^l:l      ,/゙ー、  ,r'ヽ    l 
             ゙i    ,ノ    `'"  丶.   ,'    麿はjpgが欲しいのではない!ZIPじゃ! 
               ゙l、   ′ ,, ィrェェzュ、,_ 〉 } / 
              ',ヽ  ヘヾ'zェェェッ',シ' //ヽ     ZIPを出さねば朝敵じゃ! 
               } 丶、 ` ー--‐ '"'´,/ノ:.:.:ヽ 
              /l   丶、      ,.イ:.:.:.:.:.:.:.:丶、、謀反人!逆賊!と呼ばれても申し開きできまいが! 
            ,r'"^l !    ` ー‐;オ´:.:.:.:.:.:.:.:.:.,ノ  ,}、 
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いきなり有名な麻呂AAからスタート。このAA、画像を求める系の話題では、高確率で見ますね。さて、この元ネタは『水戸黄門』で、印籠を見せられたあとにも見苦しく振る舞う悪徳公家です。ちなみにこのあと、左大臣が出てきて、こいつを叱りつけるシーンも有名ですな、というかAA化されてますな。以下を参考に。

麻呂AA第2保管庫

画像も貼らずにスレ立てとな! 麻呂(YouTube)

さて、これを見て思っていたことがありました。それは「あれ? たしか水戸黄門中納言じゃなかったっけ?」ということ。そして今日、調べてみました。
さて、まずは基本的にWikipedia - 水戸光圀で調べると、

1690年(元禄3):(63)
10月14日 - 隠居。
10月15日 - 権中納言となる。

となっていますね。つまり、漫遊をしているのはさすがに隠居後ですので、このシーンが出た時点では、すでに権官とはいえ中納言になっています(ちなみに権官についてはWikipediaを参照のこと)。また「黄門」という言葉自体、「中納言」を中国風に言い換えたものだそうです。となると、この麻呂の恫喝は全く的外れなものとなっています。何故、こんなことを言ったのでしょうか。*1

そんなわけで官位について調べてみると、こんなものがありました。

武家官位 - Wikipedia

ここの「江戸時代の武家官位」という項目を見ると、『禁中並公家諸法度により武家官位員外官(いんがいのかん)とすることによって、公家官位と切り離した。』とあります。つまりここでは、公家と武士では位の名前が同じでも、別のものとなっていたみたいなのですよね。ちなみに水戸徳川氏の藩主は、権中納言が与えられていたようです。

このように、完全に武家と公家は別物だったと考えると、権中納言経歴の持ち主に中納言としてあの台詞を言った麻呂も、さほど矛盾はない気はします。要は、公家への干渉だということを言いたかったのでしょう。一応は当時も帝に将軍が任命されているという建前だったので。ただ、当時は綱吉時代の徳川全盛期で、しかも水戸黄門はその綱吉に意見できる数少ない人物だったことを考えると、やっぱり苦し紛れの恫喝にすぎないのですけどね。極論、この公家が何もしていなくても、それをもみ消すことくらいはできたのでは。まあこれがもし、20年くらい前ならば、まだ紫衣事件などで徳川幕府に対して良い印象をもっていなかった後水尾天皇院政をしいていた可能性があるので、また歴史的出来事につながる事件に発展する可能性もあったのですけどね。しかし、この見苦しさも含めて、AAが何度も改変されて長く親しまれるようになったのでしょうけどね。

ちなみにこの麻呂を演じた俳優さんである菅貫太郎さんは、悪役としては味のある人で有名でしたが、すでにお亡くなりになったそうで残念です。でも、AAに残るくらいインパクトを与えたその演技力の高さは、数々の人の記憶に残るでしょう。

*1:「テレビの『水戸黄門』自体架空の物語だし」とか、「脚本が史実に沿ってないし」というのはヌキで。そこで終わってしまうので。くだらないことを真面目なフリをして考えるのがこのブログですし。