勝ち組と負け組のパラドックス(のようなもの)

今日はあまり時間がないのでざっと電車で寝ながら思ったことを。いつにも増してたわいもない文章です。雑っぷりがいつもよりさらに磨きがかかっているのでご了承ください。

吊り広告で見た、最近よく目にする「勝ち組」と「負け組」という文字。いちいち説明するまでもないでしょう。では、以下のような事例は勝ち組か、それとも負け組か。

一代で財をなした社長。世界での有数の財産をなしている。しかし現在周りにいるのは遺産目当ての親族のみ。息子と娘には数年前に妻に連れられて生き別れ。そして今、病床についている。横にいるのはまた遺産目当ての看護士。
数日後、彼は親族に囲まれて息を引き取った。

マンガやドラマでありそうなシチュエーションですね(ただ多くは最期に家族がつめかけるけど)。それではもう一例。

勤めていた会社は倒産。しかし息子たちを養うために大変な努力をする。しかしそれは家族を思えば苦しくなかった。そしてとうとう倒れる。たいした治療は受けられないものの、子供達が看病してくれている。そして夜には息子達とその家族が集まって、寝ている自分の周りで楽しい話をしてくれていた。
数日後、彼は家族に囲まれて息を引き取った。

さあ、このふたつはそれぞれ勝ち組か負け組か。

おそらく答え人によってそれぞれ違うでしょう。おそらくは、基準の置き方によって違うと思います。要は、経済的な観念に置くか、それとも心情的な面で置くか。

別にそれによってこの言葉の批判とか社会的道徳的云々を語るつもりはありません。めんどいから。ただ、これはどうも「勝ち組」「負け組」があまりにも広範囲で使われているために起きた、パラドックス的なものではないかとも思えるのですよね。つまり基準が統一されておらず拡散しているので、全部をふまえて判断すればどちらとも「負け組」と「勝ち組」の両方を内包しているというシュレディンガーの猫的な状況にも成り得るのではないかと。

ま、結局そういった矛盾を起こさないためには、自分で基準を作り出して、それがどっちか判断するしかないのかなあと思ったりします*1

でもこういうたわいもないところからパラドックス(のようなもの)を考え出すのは、電車内で座っている暇な時間ならでは。


もっと突き詰めて考えてもいいけど、時間がないのとこのブログで社会的なことを真面目にやっていいのか微妙なところなので今日はここまで。

*1:ま、現状マスコミとかで使われているのもかなり限定的なシチュエーションでの言葉遊びのような気がしますけどね。