空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

ネット住人が裁判の量刑を決める時代がやってくる?

「その国において、刑事事件の被告への有罪無罪、そして量刑を決めるのは裁判官ではなかった。それを決めるのはネット上にいる、顔が見えない国民全員だった」

さて、いきなりどっかの近未来SFにあるような書き出しで始めましたが、これ、どこを想定して書いたと思います?はい、お察しの方がいたかもしれませんが、日本です。それも裁判員制度が始まってからしばらく経った近い未来の。別に裁判員制度がダメだって決めつけているわけじゃないのですが、現在伝わってくる情報だと、こんなことも起きるんじゃないかなあって思ったわけです。


さて、なんだかよくわからないうちに数年後からの実施となってますが、デジタル放送同様準備大丈夫かいな……と思うことも多々あります。まあ国民全員選ばれる可能性があるわけですから、予習しておくことをおすすめいたします。(裁判員制度広報用アニメ「総務部総務課 山口六平太 裁判員プロジェクトはじめます!」は見てみたいかも)

 ■参考:あなたも裁判員!

で、裁判員のすることですが、上記サイトの説明によると「有罪か無罪かの判断と有罪の場合の刑の種類や重さの判断」ということ。原則として評議をして決めるところはアメリカの陪審員制度と同じでしょう。しかし、それとは大きく異なる点があります。それは陪審員制度が全会一致を原則(決まらない場合はやり直しもあり得る)としているのに対し、こちらは多数決あり、しかも陪審員制度は有罪無罪の2択で、量刑は裁判官が決めるのに対し、こちらは量刑もゆだねられているようです。
多数決の取り方も説明されていないのでまだわからないのですが、もし会議室で挙手とかだったらちょっと問題がありますね。それは社会心理学的に多数決で明確な結論が出せていない人は、その場の力関係が高い人や一番リーダーシップがありそうな人に従う傾向があると思われるからです。まあこれは今日は長くなるので割愛。


さて、その裁判員ですが、量刑をどのように決めるのでしょうか?それは人によって違うでしょう。
現在、裁判官はその判決についてマスコミ、世論に影響されてはいけない、という原則があります。あくまで弁護士、検事の弁論をもとにして、そこから得られるものと自分の(法律や判例、通例に基づいた)考えを材料として判決を出さなければいけません。そして職務としての責を負う以上そのための心がまえも出来ていると思います。(まあ裁判官も人間ですから、実際は人によって違う可能性もあるでしょうが)

ですが、これが裁判員の場合はどうでしょう。参加する人は法律の素人。そんな人たちが判断するといっても、弁護士や検事だけの証言ではなくて、ついついマスメディアなどに目がいってしまい、そこで影響を受けてしまう可能性は低くないのではないでしょうか?

ましてや、今回の裁判員制度は性急に決まっているのもあり、陪審員制度が国の成立とともにあったようなアメリカと違い、それに対する意識が高い人、少なくとも自分の仕事などをさしおいてもそれに協力する人は少数派だと思います。

■参考:“裁判員制度”「辞退理由」どこまで認められる?…×営業マン「ノルマが…査定に響く」 ○夫婦で商売「バイトを雇えない」

そういう意欲の低い人は、極論「どうでもいいけど仕方なく」と考える人もいるでしょう。となると考えるの自体面倒くさくなってしまい、他に頼る可能性もあります。かといって守秘義務があるので直接人には話せませんし、となると現代において参考にしそうなのは「インターネット」。

私の予想ですが、陪審員制度が始まるとネット上にそれら個別の事件を討議するサイトや掲示板とかが現れる可能性があります。すなわちそのサイトで、○○の刑事事件に対しては、このくらいの量刑が妥当だという論議が交わされるという感じ。例えば強盗なら12年、止むにやまれぬ事情があったら減刑とか。
そして、あまりその事件に対して関心がない人は、そこの意見にゆだねた方が、一番確実だと思ってししまうのではないでしょうか。
もし、そういったサイトでの意見が広まれば広まるほど、そのサイトへの依存率は高まるわけです。そしてそのサイトの意見に従うことが「標準」となる可能性も否定は出来ません。
すると裁判員の他に誰でもがその裁判に影響を与えられる、いわゆる「国民全員裁判員」みたいなことになってしまうのではないかと思うわけです。というか、今でもニュースに対してのブログに書かれたものがgoogleなりAsk.jpなりで集められるのですから、すでにその「国民全員準裁判員」みたいな仕組みはできあがっているのかもしれません。
しかもこれは(そうすることが違法になったとして)、ある特定のサイトを法律違反でつぶせば良いという問題ではなく、犯罪行為を憎み、それを犯したものへの関心がある限り、いくつもサイトが生まれてきます。極論、インターネット自体を閉鎖しなければ、規制は出来ないでしょう。
一応、裁判官は裁判員の意見を参考とする程度とされているみたいですが、そもそも裁判員の意見と裁判官の下した量刑が著しく違えば、裁判員制度自体意味をなさないわけで。


これが最初の文章を書いた理由です。
まさか裁判員に対して、絶対に影響されるなと命令しても無駄ですし、だからといって判決まで密室にとじこめておくわけにもいきませんからねえ。

たしかに大勢の意見を聞くということ自体は悪いことではないのですが、危険なのは入手できる情報は、マスコミによる断片的なものでしかありません。ということはもし実際の審理では「あれ?ちょっと違うような……」と思っても、その世論に流されてしまう、ということがあるのではないかと。

マスコミが全部が全部信用できる媒体、ってのならいいのですけど、さすがにマスコミも構成するのは人間で間違いを犯します。このへんは1994年に松本サリン事件の被害者、河野義行さんが受けた報道被害を見れば一目瞭然ってわけで。それに中には故意に間違った情報を混ぜられる可能性もありますからねえ。
『悪を許さない』という心故に本来は無実な人間を傷つけて、悪を見逃してしまうという可能性があるというパラドックスにも似た状況が生まれそうです。難しいところですね。
余談ですが、ネットで見る犯罪者に対しての「死刑にしろ」的な意見、一見乱暴に見えますが、犯罪行為を憎むという点において見れば普通の心理だと思います(まあ2chとかだと言葉遣いが多少荒いのが文化みたいなものですしね)。


ま、とはいっても正直確定判決、つまり実刑がどうなるかという点には上で書いてきたような影響は「まだ」ないような気がします。というのは、裁判員制度というのはあくまでも1審(地裁)のみで、控訴審では裁判官のみの審理となるのでもしそれが判例など量刑を決する要項と比べて著しくずれている場合ちゃんと修正するとは思います。
でも、その逆転判決があまりにも多い場合「じゃあ裁判員制度って何の意味があるのよ」ってことになるかもしれませんが、それがさすがに施行されてみないと。

しかし、アメリカの陪審員制度っていうのは、ネット普及における問題をどうやってクリアしているのでしょうか知りたいところです。


裁判員制度については思うところが他にもあるので、今後も折を見て書いていこうと思います。



■追記
裁判員制度についてはそれなりに調べましたが、間違いがあったら指摘してくださいませ。もしこのような挙げてきたことの対策とかもされていればよいのですが……

■さらに追記
『デスノート』が第2部になる時、マスコミは犯罪者の報道を匿名としましたが、ネットでは犯罪者の情報が流出し(キラの自作自演)、それに対しての写真、名前がネットに蔓延したと書いてあります。あの状況をちょっと思い出しました。