空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

現代において盗作が生まれやすい理由

なんかモバゲー小説大賞の受賞作の一つが、盗作疑惑というニュースが流れていますね。

【ケータイ小説】モバゲー小説大賞で優秀賞を受賞した作品がエロゲの丸パクリな件

『CROSS✝CHANNEL』はやったことがあります。ストーリーはよく言われているのであえて書きませんが、ゲーム音楽好きとしては、音楽の質と使い方(テンポ切り替え、メインテーマ反復方法等)が上手いと思いました。そして携帯の方は見ていないのでそれが本当かは現時点では判断できませんが、この問題はこの一作品の問題のみならず、現状のこういった形態(携帯にあらず、というか携帯小説を含めた諸々の作品発表)における様々な問題を浮き彫りにしたと思います。

※追記……今見るためにモバゲーにアクセスしたら、作者がすでに脱会していて見られなくなっていました。やましいところがないならそれこそ載せたまま反論すれば収束するでしょうに。あと、モバゲータウンが「一部受賞作品につきまして」という文で調査中との旨が書いてありました。


この件はまだ立証が出来ていないので確定とは言えませんが、最近このような盗作系の騒ぎが多いと感じます。前にも新人賞で伊藤潤二作品とほとんどそっくりの作品が受賞をしてしまい騒ぎになったことがありましたし、他にも芸能人含めて疑惑、謝罪済み含めて数多く存在します。昔はほとんどなかったこの手の騒動(あるにはありましたけどね)、何故増えたのでしょうか?

(それらに盗作の意思があったと仮定して)考えられるのは「ネットでチェックが厳しくなってすぐ見つかってしまう」、「媒体の数が個人でチェック出来る範囲を超えている」それに「発表までに編集者のチェックがほとんどない」というところです。

「ネットでチェックが厳しくなってすぐ見つかってしまう」というのは、現代ではおかしいと思ったら、「あれ?これもしかして……」とネットを使って意見を述べることは容易になっています。というか、ブログで感想を述べるなんていうのも全然珍しくないでしょう。ましてや携帯小説なんてネット直結ですし。そして目の数と伝播のスピードが速いのもネットの特徴なので、光の速さで話題になると。
昔から比べて表に出ないものも含めて盗作の数が増えているかどうかは不明ですが(これを語り出すと「近頃の若い者は……」的話になりそうなので割愛)、少なくとも検出力は増えていることでしょう。「王様は裸だ」と一人が言えば、それがそう思える人は次々に同じことを言うでしょうから。

そして「媒体の数が個人でチェック出来る範囲を超えている」というのは、昔だったらまず盗作として個人でもわかったものが、あらゆる媒体で作品も膨大になって事実上チェックが不可能になってしまったため起きてしまったことではないでしょうか(逆に私が「この作品は○○のサイトの携帯小説にあった」とか言われても、判断に困りますし)。
なんか今回推薦した審査員が一部で責められてますが、これはゲームというまったく畑違いの分野であったことなので、ある意味運が悪かったとも言えるでしょう(そもそも「盗作」なんて審査員段階ではあり得ないという前提がいままではありましたからね。これは後述)。私も劇団系のものはまったく知らないので、例えばある作品が「劇団ビタミン大使「ABC」の○○にそっくり」とか「劇団第三舞台の○○パクってる」と言われても、見ていないので判断つけようがないですし(ちなみに前述の劇団は宮川賢と鴻上尚史の劇団。私の知識はこのくらい止まり)。
ちなみに、このようなことは今後多々起こりうることですし、知らなかったことは仕方ないとしても、この後の対応次第で善し悪しどっちにも動くと思います。もしこの後、盗作元といわれている作品を読むなりしてもらって判断を出してもらうのがいいかも。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」。

そして前述したところにも含まれますが、「発表までに編集者のチェックがほとんどない」というのもあるでしょう。これは『リアル鬼ごっこ』文法は何故生まれたのかでも少し触れましたが、昔の作品なら編集者のチェックで「これ、盗作だろ」とはねられていたフィルタがなくなった、もしくは薄くなってしまったことによるものではないでしょうか。ましてや今回は携帯小説ですから、自費出版と同じようなものですし。
ちなみに携帯サイトの小説では、同じように文法の誤用や変換ミスなどが散見されるという話ですが、これも同じ理由によるものかもしれません。


このように、作品発表の形態がいろいろな面で変わってきてしまったための副産物だと思うのですね。まあ、盗作をする人が一番悪いのですが。

とはいっても、盗作の意思がないのに騒ぎになってしまったもの、すなわち作品数が多すぎて、被ってしまったというものもきっとあると思います。正直、まったくそのつもりがないのに「○○のパクリ」と言われると、ちょっとショックを受けるのはありますけどね。まあまったくオリジナルの作品というのは今ではかなり難しいので、そういう声があっても仕方ないと思っています。
今回もその可能性がまったくないとは言えません。ただ、そういう場合ってのはよほどの偶然がない限り大きくはならずに収束していくものなのですよね(よく一人で根拠が薄いのに声高に言う人もいますが、だいたい論拠が薄ければ無視されるか反論されて黙殺されるので)。
あと、本当にやってないのでしたら、真摯に釈明すれば分かってくれる人(味方に付いてくれる人)というのは結構存在すると思うのですけどね。ネットの大多数は文句をつけたい人ではなくて、真実を知りたい人だと思いますし。やっている、やっていないどちらでも、消すのはあまり好ましくないかなと。


さて、一応携帯小説というのも(現在では多数問題があるとしても)、ネットを利用する小説というところでの面白さはあると思うので、今回の件で全否定されないかが心配です。