出木杉君がレギュラーではない理由とパーやんが大阪住まいな理由の共通点

現在、刊行されている昔のコロコロコミックの年代別再編集版、『熱血コロコロ伝説』を買っています。でもって先日Vol.2の1979-1980を買ったのですが、このへんが私が最初に読んだ漫画誌だったので(目的はドラえもん)、かなり懐かしさがこみ上げてきます。まあ自分で買うようになったのはもうちょっと後ですけどね。

で、これには藤子不二雄の代表作である『パーマン』が出てきますが、そこで出てくる人物紹介には主役の1号、チンパンジーの2号、星野スミレである3号(パー子)、そして大阪在住のパーやんこと4号が載っています。しかし、パーマンを知っている人はわかるでしょうが、パーやんは大阪在住で出てくる回数が前の3人(あ、2号は1匹か)よりも少ないです。さて、今更ながら思ったのですが、何でパーやんは大阪在住ということになって、登場回数が減らされているのでしょうか。

これ、実はドラえもんにおいて、天才である出木杉君がレギュラーメンバー、いわゆるドラえもん、のび太、しず(か)ちゃん、ジャイアン、スネ夫から外れた準レギュラー的立場になっているのと同じような理由があるように思えたのです。

さて、この二人、共通点があります。それは「頭がいいこと」。出木杉君は言うに及ばず、パーやんもたまに出てきては3人だけで悩んでいるところにいいアイディアを出すことがよくあります。例えば悪の組織がパーマンを投げ飛ばす格闘家を連れ出してきて困っているところ、それを見て相手が合気道ばりに相手の力を受け流す技の使い手というのを見抜いて、力を入れずに捕獲してしまうというアイディアを出したり。
では何故、このパーやん及び出木杉の出番が少ないのかというところに話を戻せば、その頭の良さ故に登場回数に制限を付けられたという可能性があります。
その理由は何か。実はこれ、頭の良いタイプを出すと「諸葛亮孔明現象」みたいなものが起こってしまう可能性が高いからだと思われます。

「諸葛亮孔明現象」とは便宜上つけましたが、要は『三國志』における天才軍師、諸葛亮孔明のように頭の良いサブキャラは、読者の人気を一気に奪ってゆく可能性があるわけですね。つまり主役の人気を食ってしまうということです。いや、そこまではいかないでも、サブキャラ1位となってしまうとか。ちょっと妥当な具体例が思い浮かびづらいのですが、比較的近年なら『幽遊白書』の蔵間あたりでしょうか(まあこれは美形だったからという女性方面の事情もありますが)
ですので、昔から天才型の仲間キャラは、そうならないために回避策をとられていたものが多いです。その回避方法のひとつが、前述のパーやんや出木杉君のように、メインメンバーから外してしまうこと。つまり、パーやんが大阪在住なのは、キャラ付けというのもありますが、このようにしょっちゅう登場させないための手段だったのかもしれません。そして出木杉君も同じく。そして話に頭脳的な要素が欲しいときは出てくるとか(この傾向は敵の存在がある漫画では特に)。

ちなみにこの回避策はもうひとつあります。それは「頭のいいキャラをかっこよくしない」というもの。つまり頭は良くてもメガネ君タイプの人気が出づらいものにしてしまうってことですね。代表的なのはオバQのハカセ、それに『漂流教室』の我猛君もそんな感じかと。まあパーやんも太っているのはそんな理由があるのかもしれません。(ちなみにそれでも小学生の時は、パーやんの頭の良さに関心しましたね)


そんなわけで、パーやんと出木杉君は頭がよい故に登場機会を減らされたのではないか、と思ったのです。特に昔の漫画の主人公は、頭は悪いけど、勇気や根性、力があって勝利を導くみたいなジャンプニズムタイプが多かったですし。

だけど、最近の漫画ではどうもその傾向はあまり見られないようです。その理由は、主人公像が変わってきたこと。つまり主人公自体が頭の良いキャラを演じても、感情移入が阻害されることがなくなってきたのですよね。いわゆる「完璧型」とでも言うべきか。『ジョジョの奇妙な冒険』の歴代主人公や、『魁!男塾』の剣桃太郎もそうかと(ハガレンのエドもそうかなあ)。
あと、守られるだけとかで戦闘に参加しなかった女性が『頭脳キャラ』として置くことで、人気を主役と食い合わないところに置く、という手段もありますね(『ワンピース』のナミとか)。これも時代によって女性像が変わったからかもしれません。

そして頭脳キャラの魅力を前面に押し出したのが、『デスノート』と言えるでしょう(ただし友情も努力もないですけどね)。


まあ、昔はこんなふうにレギュラーにもなりづらかった頭脳キャラですが、時代が変わってそういうキャラが前に出てくるようになったということですね。

しかし逆に考えると、実は出木杉君って時代が時代なら、そしてあの世界にドラえもんがいなかったら、「頼れる立場でいろいろ待ちの事件を解決する役」という、ドラえもんの変わりとなるキャラに成り得たのではないかとも思ってしまいます。ただ、それが今に残る名作となったかはまた別問題としてですけどね。