様々なパラドックス

4月1日らしく「嘘」から関連して「嘘つきのパラドックス」なるものについて触れようと思います。

「クレタ人のうちの一人である預言者エピメニデスが次のように言いました。
 クレタ人はいつも嘘をつき悪い獣、怠惰な大食漢だ」


これは、新約聖書の「テトスへの手紙」と言われる文章なのですが、この言葉にはある謎がかくされています。 その部分を抽出して、簡単にすると、
 「『クレタ人は嘘つきである』とクレタ人(である預言者)は言った」
となります。
つまり、 「私(を含むクレタ人)は嘘つきである」 と言っていることになります。


もしクレタ人は嘘つきというのが本当なら、預言者自身も嘘つきになりますから、「クレタ人が嘘つき」というのも嘘になってしまいます。しかし、預言者の発言が嘘ならば、クレタ人は嘘つきではありません。しかし前述の通り、クレタ人である預言者は嘘をついている…
そう、この文章は矛盾してしまうのです。
これは「嘘つきのパラドックス」と言われ、このように自分のことを含めて言及しようとするとこのような論理的矛盾が生じてしまう、というものです。


■参考:哲学大系 第9章 エピメニデスのパラドックスの真の解法(リンク切れ)


パラドックスにはこのほかにもいろいろなものがあり、有名なものだと「ツェノンのパラドックス」(アキレスが亀を追い越せない、数学的矛盾をついたパラドックス)や、それこそ言葉の通りの「矛盾」(最強の矛と最強の盾をつき合わせたら、どちらが勝っても一方は嘘になる)がありますね。こちらはご存じの方も多いと思います。


さて、最近よく取り上げているドラえもんにも当てはまりそうなパラドックスがあります。

まずひとつは、「ドラえもんが婚姻関係を変えてしまった時点で(つまり、のび太の結婚相手が、ジャイ子からしずちゃんになった時点で)遺伝子レベルでセワシが存在しなくなる。ひいてはドラえもんも20世紀に来ることはない」というパラドックスです。 (「親殺しのパラドックス」の関連)

しかしこれは、1巻で「東京から大阪に行くルートはいくつもある。未来へ行くルートもそれと同じ」と一応の理由付けがされています。


もうひとつは、「ドラえもんが、ドラえもんの開発された時代より過去に来ているのに、何故存在出来ているのか」というものです。 つまり、過去の時間軸に行った場合、その物体は「存在していない」のですから、製造日以前に行けば、崩壊してしまうはずです。
ちなみにこれはタイムマシンにも同じ事が言えます。これは「タイムマシンのパラドックス」と言われています。おそらく他のマンガでも出てくるので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

まあこれも理由をつけようと思えば、さっきの東京と大阪の回避法と似た考え方で出来るかもしれません。例えば、「過去に物体Aが移動したとしても、その物体の時間軸は未来に存在している」等。つまり、ドラえもんの世界観では、過去にやったことでも「存在」自体を消滅することはできない、とか。
なんか穴だらけの思いつき理屈ですが、ここを考え出すと、これだけでエントリーがすごく長くなりそうなので、それはドラえもん関連を扱うまたの機会に。


あとついでに自分が前から思っていたのは「ハイビジョンテレビCMのパラドックス」。

ハイビジョンの映像は、それまでの旧式テレビに映るCMで「より美しい映像になりました」と証明するのは不可能です。もし、現在映しているテレビでその画像の綺麗さがわかるのであれば、そのテレビはハイビジョンの綺麗な画質が再現出来ているわけで、テレビを買う必要はなくなるのですから。
だから実際は「きれいになった」と言っている画面を、現行のテレビ画面で映しているのにすぎないわけです。
たしかにハイビジョンを持っている人なら、このCMでの画像の違いがわかるかもしれませんが、しかしCMはハイビジョンを持っている人ではなく、持っていない、つまりそれまでの旧式テレビで見ている人に訴えなきゃいけないわけですので、訴えたい人には伝わっていないことになります。

おそらくこれは、「自己言及のパラドックス」の1種だと思われます。「嘘つきのパラドックス」と同じく、自分のこと(ここでは比較対象としてのテレビ)を含めて言及しようとするとこのような論理的矛盾が生じてしまう、というものです。

※ちなみにこれは、ハイビジョンのCMが本当に加工無しで比較しているという前提で書いていますが、実際はそんなことはなくて、それらしい加工をしてあるでしょう(わざとらしく画素線を描いたりとか)。まあそのまま比較しても前述のようになりますから当然でしょう。


ま、「嘘」からずれてしまいましたが、パラドックスというものはこういった面白さがあるということで。
探せば他にも身の回りにいろいろありそうですね。