空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

歴史上の美人における判断基準

 こんな記事がありました。

 ■クレオパトラは「不美人」だった? 古代硬貨の肖像から
  http://cnn.co.jp/science/CNN200702150029.html

 なんかジョジョの奇妙な冒険あたりで出てきそうな絵柄ですが、それは置いといて。

 しかし、まあたしかに今の基準で見ればアレですけど、ひょっとしたら2000年前のローマ方面ではこの顔が美人の証だった可能性もあるのではないでしょうか。

 思えば、美的基準なんてほんの数十年で変わるものです。芸能界だって昔、美人といわれていた人を写真で見ても、今はそれほどではないと感じることはあるでしょう。
 しかし、それは今の方が進化しているとかでは決してないように思えます。例えば今の芸能界でトップクラスのアイドルやら女優やらをタイムマシンで過去に連れて行ったところで、その人がその時代でも「美人」と判断される保証はありません。

 例えば、日本では平安時代、「おたふく顔」が美人の象徴とされていたと言われています。しかしその顔、現代で見てみればどうでしょう?おそらく、現代的日本の基準で言えば、必ずしも美人とは言えないのではないでしょうか。(←なんだこの弱気な表現は)

 平安時代といえば『源氏物語』な世界ですが、ここで幼い頃から美人で光源氏が手元で育てていた紫の上だって、この時代基準での「美人」なわけですから、現代でも必ずしもそうとは言えません。それにもしかしたら、なんか超ブスみたいに書かれている末摘花だって、スレンダータイプで鼻の高い美人だった可能性だってあります。(しかも性格は良いらしいし)


 まあ、美的基準なんてその時代時代で変わると思うのですよ。今、美人と言われている人だって、そういう顔が多くなれば「普通」の顔になってしまうのでしょうね。

 つまり、何が言いたいのかというと、ひょっとしたら数百年後には、私のような顔でも美形とされる可能性があるかもしれません。まあその頃に生きてはいないでしょうが……